キャリアカウンセリングをめぐる冒険その11

今日は妻が朝から保育園で使うための小麦粉ねんどを作っており、その残骸をそのままにして出かけていったので台所がすごいことになっていました。なので今日のブログは短めです。

この文章は私のために書かれた私の冒険であり物語なので、読んでくださる方には読みにくい部分も多いですし、誤字をきれいに直したり校正もかけないで進めるので、どうぞお許しください。

出口まであと1歩

ここ1年くらいの私といえばキャリアカウンセリングと向き合い、学び、実践するなかで、その限界や難しさ、ビジネスに足り得ない部分に失望し、もがき、苦しんでいました。いや今もそれには変わりありません。

多くの人が資格を取得してから、カウンセリング場面を迎えることなく、このキャリコン村を去っていきます。(次の行き先は心理士(市)や社労士タウン、FPシティーが人気です。)そう、キャリコン村は観光地としては人気ですが、そこに定住する人は少なく、みなが何かを求めてやってきて、そして去っていくことを続けています。

私はそのことに悲観する部分もありましたが、今はそれを1つの現実として受け入れています。そして前に進む道を模索しています。もがき、傷つき、それでも学び進む中で、ようやくいくつかのヒントを手にしている感覚を得ました。

それを得るために私は多くを諦め、手放し、傷を得ています。何の気なしに、この文章の段落に「出口」と書いたことは、もしかしたら私もまたキャリコン村を去る時がくるのを暗示しているのかもしれません。

変わり、変わらないもの

私はこの先、キャリアコンサルタントではなくなるかもしれません。(今だって怪しいものです。)それでも、私はキャリアやカウンセリングについて学ぶことを止める日はこないでしょう。

誰かの仕事の悩みやキャリアをつくっていく役に立てれば、そこに名称や資格はそれほど重要ではないと思います。

もう少し。今、見えてきているものを形にできるかどうか。私はそれを語る必要があるように思います。それがキャリアカウンセリングでないとしても。これまで掴もうとして、この手をすり抜けていったあらゆるものや人のために。あと1歩。ここが踏ん張りどころです。時間なので今日はここまで。