「全ては正しい。ただし部分的である」#15

そろそろグーグル先生に怒られそうなので、今日からブログのタイトルを少し変えますが冒険は続きます。

ふと良い仕事・職場というのは、どういうものなのかを考えます。私の職場はとても働きやすいですし、慣れてしまえば仕事もそれほど大変ではありません。それでも去ってゆく人はいます。それぞれに思いを抱えて。

やはり感じるのは客観的に「良い仕事」「良い職場」というのは存在できないということです。自分にとって良くても、誰かにとって悪い。B級グルメでは起きづらい価値観の相違が、仕事や職場では簡単におきます。

私はクライエントの職業上の意味やストーリーを構成するのが仕事ですから、この点については注意深く意識を向けなければなりません。そこで活躍するのがインテグラル理論の教えになります。

全ては正しい。ただし部分的である

これはインテグラル理論の基礎となる考え方になります。私はキャリア・カウンセリングの場面ではこの言葉を特に大切にしています。

クライエントがどんなことを言ったとしても、そこには大なり小なり「正しさ」は存在できます。退職したい自分にも正しさはあるし、やっぱり続けたい自分にも正しさはあるのです。でもそれは、どちらかが全て正しいのではなく、どちらも部分的に正しいと言えます。

「私はダメな人間なんです」と語られたら「そんなことはないですよ」と否定してあげたくなりますが、そこにも小さな正しさはあります。だから「ダメってどういうこと?」と分かってあげたいなぁという方向に進むことができるのです。

カウンセリングではしばしば「内的準拠枠の共感的理解」が求められます。これはとても難しいなぁと思っていました。自分にない価値観、真逆の価値観を飲み込むってなかなかできないですよね。

でも「全ては正しい。ただし部分的である」という態度から始めることで、どんなものの中にも正しさを見つけたり、正しいと思えるもののなかにもそうでない部分を見つけることができるようになりました。

だから私のスタートは「純粋性・受容・共感」の前にこの言葉があります。インテグラル理論は私の人間理解の土台にあるものなのです。(もちろんインテグラル理論の正しさも部分的であり、限界もあることに気づいています。)

ブログを開始して15回目にして、ようやく書き出すことができました。ここから私のキャリアカウンセリングの構築が始まります。時間なので今日はここまで。