美と善 #19

今日のブログのサムネイルは、昨日出社する途中に見つけた素敵なお花です。最初はチラッと見て素通りしたんですけど、やっぱり気になって戻って写真を1枚撮りました。

するとそんな挙動不審な中年男を見ていた女性(マダム)が、話しかけてくれたのです。

「そのお花はね、ヒメヒオウギというのよ。」

「そうなんですね。とても素敵だなと思って」

「とっても可愛いわよね」

写真の花のように、笑顔で交わした小さな会話でしたが、そこに小さな繋がりのようなものを私は感じていました。そう、それは小さな嬉しさのようなものです。

昨日のブログでは、美と善について書きました。美は個人の内面に宿り、善は社会や文化に宿ります。たぶん、昨日のあの瞬間、私の内面が感じた美をその場にいたマダムと共有できたことが、私には嬉しかったのだと思います。

今の社会って多様性だなんだといって、すぐに「価値観は人それぞれ」って言っちゃうじゃないですか。確かにそれはそうなんですけど、なんかそれって分かり合うことと距離を置くというか、先に認めちゃうことで、こっち側には絶対に入ってこないようにする感じがするんですよね。

どんな美を語っても「うんうん。価値観は人それぞれだよね」って言われちゃうとね、なんか何も言ってなかったことになっちゃうなって。それが今の社会の文化だし、善なのだと思うけど、私たちは多様性と呼ばれるものの先に、いったい何を見つけていくんだろうなと思ってしまうのです。

そういう意味で私は昨日、素敵なマダムと素敵な花の美を共有できたことは、ごくありふれたお話なのだけれど、とても有り難いことだったのかなと、そんなふうに思ったのでした。今日はここまで。