キャリアカウンセリングをめぐる冒険その3「杉山さんだったらどうしますか?」について

あまり需要を感じないこの連載も3回目を迎えました。そもそも私の趣味嗜好に近いものですので、その辺は気にせず書いていこうと思います。

さっそく今回のテーマに入る前に、最近読んだ本について少し書かせてください。東畑開人先生の『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』を読みました。

心理職というのは人の心の美しかったり酷かったりする部分を引き受けるので、尊い仕事だなと思う反面、それが果たしていったいいくらの価値であるのかは、本当に難しい問題だと思いながら読了しました。

本の中の一節に「複雑な現実をできるだけ複雑に生きること」という言葉が出てきて、この中にカウンセリングで起こるさまざまな正体が含まれているように感じました。(重大なネタバレになるので、この言葉が一体なにを指すのかは、ぜひ本を読んでみてください。快作です!)

今回テーマにする「カウンセラーさんが私だったら、一体どうしますか?」という質問もまさに「複雑な現実を複雑にとらえたいけど…」という葛藤が含まれたものです。今回は私たちをしばしば困惑させるこの質問について、理解を深めていければと思います。

クライエントがカウンセラーに答えを求めるとき

クライエントから「あなたならどうしますか?」という質問をぶつけられると、面談には転機が訪れます。笑顔をとりつくろって「それを一緒に考えましょう」といっても、なんだかクライエントは納得していない様子。こんな時、なにを手がかりにすれば良いのでしょうか。

まず捉えておかなければならないのは、この質問が発せられたタイミングです。もしも面談が始まって10分も立たないうちにこの質問が出てきた場合、クライエントは問題を一人で抱えることが難しくなっているのかもしれません。それによって「他の誰かに選んでもらおう、決めてもらおう」となっているのかも。

またクライエントのこれまでの人生や性格的な志向から、重大な選択は誰かに決めてもらってきたという可能性も考えられます。

なので面談早々にこの質問が来た場合には「もうこの問題を抱えていられないという感じでしょうか」とか「急いで決めてしまいたいと思っているのでしょうか」という問いが出てくると思います。その後、クライエントが苦しんでいる問題ついて共有ができたら、その問題について「一緒に考えましょう」となっていくかもしれません。

ちなみにナラティブ・アプローチの「外在化」について理解をしていれば、「急いで決めてしまいたいと思っているのでしょうか」という質問は「今、なにがあなたを急がせるのでしょうか」と置き換えてもスムーズでしょう。この辺はクライエントさんの言語化能力を見極めながら、柔軟に変化させると良いと思います。

では「あなたならどうしますか?」が面談の中盤にぶつけられたらどうでしょうか。なんだかもう「それを一緒に考えましょう」では乗り切れないようなタイミングが中盤です。

もしも中盤でこのような質問が出た場合には、クライエントはカウンセラーが自分のことを理解してくれているか、試したい気分なのかもしれません。クライエントは話してみてなんとなく結論のようなものを感じ始めているのだけれど、客観的にみているカウンセラーにその結論を同意してもらえるのかどうか。そんなことを気にしての質問というわけです。(もちろん、話しているうちに苦しくなって誰かに決めてもらいたくなったのかもしれませんが)

このようにカウンセリング場面で、カウンセラーが試される瞬間はしばしば訪れます。そのような関わりが起きるたび、私はいつも自分の関わり方を反省します。いろいろな性格的要素はあれど、やはりクライエントがカウンセラーを試したり疑ったりするというのは、カウンセラー側に真正性や安全性が足りなかったのだと思います。

なのでクライエント側からカウンセラーへこのような挑戦が起きるたび、私は自分の心に正直に、素直に、純粋にいられるよう、もう一度自分へ働きかけます。

その上でクライエントからの質問を私の心へもう一度、響かせてみます。その結果、答え方は次のようになるかもしれません。クライエントがどのような選択をすべきなのか、まだ見えてこない場合には「残念に思わせてしまったら申し訳ないのですが、まだ私には分かりません。なのでもう少しお話を聞かせてもらえればと思います」

クライエントの選択について手がかり(≠正解)を掴めてきているようであれば、もっと具体的に何について話してもらうのかを補足した方がよいと思います。そこからはより真正に、安全に、すすめていく必要があります。

では面談の終盤に「あなたならどうしますか?」が問われた時には、何を感じるのがよいでしょうか。ここではさまざまな可能性が錯綜しますので、単純に捉えることはできません。

終盤ではクライエントが自分で決断できそうなところまで来ているでしょうから、この質問が出てきたら、カウンセラー側としてはいささかガックリくるかもしれませんね。

しかし面談の終盤で発せられたこの質問には、スカして答えることはできません。このタイミングで「それを一緒に考えましょう」と答えたとしたら、恐らくクライエントは失望するでしょう。

クライエントが面談の終盤でカウンセラーに意見を求める理由はさまざまあると思います。決断に自信や確信を持てない、あるいは面談自体に堂々巡りや行き詰まりを感じている、信頼関係(安全性)の確認などなど。

クライエントの状況によって回答はさまざまとなりますが、このタイミングでは今回の面談で話されたことがカウンセラーの目線や理解として語られることが適切なように思います。

「今日、お話をうかがって私は〜〜のように感じました。」あるいは「私はCLさんを〜〜という方だと理解しました。」となるかもしれません。その言葉はクライエントが課題を違った視点で捉え直したり、クライエントの拡散するアイデンティティーが統合されていくイメージとして語られます。キャリアカウンセリングの多くがそのようにして終結していきます。

答えを求める人とともに

ということで、今回は「カウンセラーさんだったら、一体どうしますか?」という質問について、私が考えていることを書いてみました。

答えや正解を求めたくなるのは、人間だれしもあることだと思います。私はそのことへの理解と共感を忘れずに、クライエントさんと向き合っていきればと考えています。

今回は実践的なテーマだったので、次回は少し概念的な話をするかもしれません。カウンセリングの理論やキャリアカウンセリングの目的や全体像についてになりそうな予感がしています。お読みいただき、ありがとうございました。ではまた。