キャリアカウンセリングをめぐる冒険その4 閑話休題

息子が小学校に通いはじめたおかげで保育園までの送迎もなくなり、朝にポツンと1時間弱の時間ができました。

この1時間をいったい何に使おうかと考えていたのですが、ブログを書く時間にあててみようと思います。

本当はスマホを見てダラダラしたり、残された家事をやったりしたいのですけどブログを書くという内省的な行為に使うことにします。

おっといけない。やっぱり残された家事をやらないと、帰った時に私の居場所がないかもしれないので、やっぱり家事はやります。(なので今、食器を洗って席に戻りました。)

ということでブログに使える時間は30分だけ。30分1本勝負でお届けします。

普段はブログを書くたびに校正したり、言葉の意味をよく調べてから使ったりしているのですが、30分ではそれもできません。誤字脱字もあるだろうなという思いをぐっとこらえて公開ボタンを押すことにします。

ということで、今日以降のブログは私の心のままに、今この瞬間に私の心にあるものを描いていきます。それはやや私小説のような様相となるかもしれませんし、大変にお見苦しいこともあるかもしれませんが、お付き合いいただけますと幸いです。

文章を書くということ

文章を書くというのは非常に内向的な行為です。自分の中にあるものを言葉として記すわけですから、そこにはいつも心との対話が先にあります。

ジュリア・キャメロン著の「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」では、才能や想像力を失ったアーティストが、その創造性を取り戻すための最初のステップとして、「モーニング・ページ」という日課を紹介しています。

朝起きて、心の中に浮かんだ文字をすべて紙に書くというものです。これは文章を考えて書くのではなく、浮かんだものをそのまま書きます。短い文章になるかもしれませんし、単語や叫びの羅列になるかもしれません。

毎朝、心にあるものをひたすら3ページほど書く。ジュリア・キャメロンはそうすることで、自らの創造性に触れることができるといいます。本当でしょうか?でも論理的な思考を使わずに文章や文字を書くことができれば、そこにはたしかに心との対話があるようにも思います。

もし興味があれば皆さんも本を読んで、モーニング・ページを試してみてください。

話すということ

文章を書く行為と比較すると、話すという行為はもっと生生しいもののように感じます。私はこの文章を考えているときに、頭の中に浮かんでくる文字をキーボードにタイピングしています。

つまり、「心に浮かぶ→文章になる→タイピングする→目でみる→直す」が文章を書く時の基本動作です。でもこれが話すとなるとグッと省略されます。「心に浮かぶ→言葉を話す」が話すの基本動作です。ほら、書くよりもずっと短い。

でも話すにはこんな例外もあります。「思わず言う→自分で驚く」こんな経験が皆さんにもあるのではないでしょうか。私にはたくさんあります。カウンセリング場面でも思わず言ってしまって後悔することが…。

特に「あいづち」というのはほとんど無意識的に使いますよね。その瞬間は自分との対話はありません。そしてそのあいづちが、相手を傷つけることもあります。改めて考えるととても不思議なことだなぁ思うんです。

話をするって多分、私もまだ知らないなにかがある。だって話をするだけで助かったり、傷ついたり、病気が治ることだってあるんです。言葉って、話すってすごいこと。だから、私にとってカウンセリングは興味の尽きないものなのかもしれません。

中島らも著の「ガダラの豚」という作品では、アフリカの呪術師(人に呪いをかける人)がこんなことを言います。

「言葉こそすべてじゃないか。人は自分の魂をちぎって投げるんだ。それが言葉だ。」

ガダラの豚より

話すという世界は深い。今日はここまで(所要時間33分)