価値観は何を指すものか #18

前置きのない話やブログはダメだと思う。やっぱりどうせブログを書くなら、現実であった出来事の紹介から始まって、自然とそれが抽象化・理論家され、また現実に応用されるような展開を書きたい。

落語の枕のように、気づかないうちに本論が始まっていたいものだと、常々思うのです。

でも朝の25分で書かれるこのブログにはそこまでを求められません。私の心に浮かぶ音をそのまま打ち込むしかないのです。まぁでもそれでいいかなと今は思っています。

昨日はインテグラル理論のクアドラントについて書きました。世界には主に4つの見方をできると。キャリアカウンセリングの場面で取り上げられるのは、主に「個の内面」「文化」の部分だと思います。

個の内面は「美」を指し、文化は「善」を指すのですが、この2つはしばしば「価値観」という言葉でくくられてしまうことが多いです。だからこの価値観については、美について話しているのか、善についてなのか、よくよく注意する必要を感じます。

美、つまり美しさとは個人が内面において感じるものです。人によって好みのタイプ(推し)が異なるのは、美が個人的なものだからです。何が美しくて、何がそうではないのか、そうしたことが明らかになれば、カウンセリングは展開していきます。

また価値観には「善」が多く含まれます。善は文化(社会)が決めるものです。エスカレーターの右に立つか、左に立つか、どちらが正しいのかは文化によって決定されます。

例えば正社員を選ぶか、派遣社員を選ぶか、という選択に直面した時、美と善が交錯することがあります。自分の内面は派遣社員の自由な働き方・生き方に美を感じるけれど、文化(社会)は正社員が善であるように語っている、といった場合です。

個人の美と文化の善は必ずしも一致するわけではないというのが、とても難しいところですね。どちらを優先するかにおいても正解はありません。

だから私はよくよく、耳を傾けます。クライエントの中で善の声が大きくなっている時には、美の声を。美の声が大きすぎる場合には善の声を。それらが無視されることがないように、インテグラル(統合)されるように、もっと豊かなものになるように。

そんな風に話を聴けていければいいなと、いつも思っています。時間なので今日はここまで。